金木犀の匂いが私の夏を殺しました。

下書きを見てみると、去年の秋にこのような文章を残しておった。もったいないので、途中書きだが、そのままあげる。

いやはや、けったい亜熱帯、シミッタレ。

そんな文章。

 

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蛍光灯の明かりの下で黙々と発送作業をしていてる。今日は気持ち、蒸し暑い。窓を開けているからか、小さな虫みたいなのが畳の上をはっている。なるべく殺さないように息を吹きかけてはらったりする。時々知らないうちに死んでるのがいたりする。ここで死ななくてもいいのにと思いつつ、なんとはなしに自分の腕を見る。薄焦げ茶色の肌を見る。

「今年もこんなに焼けた。今年の夏もこの日焼けの分だけ生きた」しみじみと思う。

 

学生のときは、季節で一番夏が好きだった。

海やら山やらの行動的な理由ではなく、どこか生きている感じがするからという曖昧な理由。

夏というだけで、何かが起こりそうな気がして、何も起こらない。そんな生きている季節が好きだった。

 

古本屋を始めてからは、店にエアコンがなかったこともあって夏はとにかく生き延びることに精一杯で、楽しむ余裕はなくなった。夏はただやり過ごす。夏はただ、生き延びる。

今年も八月は「無休営業」と阿保な冠をカレンダーにつけて店を開け続けた。その間も本の仕入れがあったり、本の処分をしたり、ただただおろおろしたり、日を浴びて夜を生きて。

 

夏は懐かしいお客さんの「帰り」を待つ季節。あるいは、これから懐かしくなるお客さんに初めて出会う季節。お久しぶりですと言い、はじめましてを言う。お盆にしか会えない常連さんがいて、青春18きっぷを使ってやってくる。

 

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この続きに何を書こうとしたのだろう。

去年と大した違いはないのかもしれない。

 

悲しみは御家芸。

 

「また病気になっちゃったんです」

と彼女は言っていた。

 

仕事辞めようと思って、あ、でも来年3月までは。引き継ぎとかしないといけないので。それだけ伝えようと思って、じゃあ、また。

と言っていた。

 

そんな彼女に、

「共に頑張りましょう」

と声をかけてしまったことを一日中後悔している。その微笑みも彼女にとってコップギリギリのユーモアだったかもしれなかったのに。

これ以上、何と戦えと言うのだろう。

 

勝ち負けがあるなら負けを選んで、

毒を吐きながら飯を食べる。酒を呑む。自虐を自分で笑う。今夜は雨が降った。笑えたことって優しさなのかな。愛しているの言葉で昨日を白く塗りつぶす。今日も海を見ようよ。

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本を売っている時間よりも、お客さんと喋っている時間のほうが長い時がある。

毎日、帰ってくるお客さんの言葉に自分の言葉を重ねる。その殆どが女性で、どうして性別の違いでこうも生きづらいのだろうと思うこともそれなりに。あるいは僕の愚かな会話につきあわせてしまうことも、それなりに。

 

「藤井くん、してる店間違えてるよ」

と言われることもしばしば。

「呑み屋でもした方が儲かるんじゃない」

僕は、カウンターの外側で呑んどるほうが気楽なもんでと答えつつ、笑いつつ。

 

店をするって何かしら。

お客さんって何かしら。

店に立っている時よりも、立っていないときのほうが店らしくあるべきのような気がするんじゃけど、あなたはどんな?店をしていない時間に不機嫌になるくらいじゃったら、やめちないなよ。

 

 

 

これしかないと思え

あなたしかいないと思え

僕しかいないと思え

 

逃げた先が古本屋だった。

隠れた先が深夜だった。

夜と朝の間に隠した頁の切れ端は、

見つからないまま、

僕はまた渡せない物語を書き始める。

 

 

私の全生活が文学。

自分を愛したふりをして、

泣きながら、幸福な迷惑を生きろ

 

 

ps.

ブログの下書きを眺めておったら、こんな文章があった。ほんとうに自分が書いたものだろうかと思いながらも。まぁ、わしだろうな。過去の自分が迷惑だ。迷惑にもならないのもつまらないけれど。

 

 

古本屋で死ね

 

店を終えた日曜日の夜は、どこかに消えたくなるね。車に乗って。どこでもいいの、どこかに消えたくなるよ。そんなどこかはどこにもないんだけど。遠くにいけないよ。明日もあるからさ。雨が少しだけ降ってたけ。お腹が空いてただけなのかも。珈琲が飲みたくなったよ。あったかいやつ。煙草が吸えたらいいや。

 

「夜に開いてる喫茶店へでも行こうか。そんなのこの街にはないけどさ」

 

休みの日は何しているんですか?と聞かれて困ってしまった。休みの日がちゃんとあってもしたいことがないから。ちゃんと働いている訳でもないのにね。古本屋で死ね。と言い聞かせる。それ以外に生き延びる方法もなく。

 

「みんなは休みの日は何をするの?誰かを愛したりするの。あるいは、誰かを憎むのか。どちらもいない人はコンビニで何を買えばいい?」

 

例えば、卵かけご飯を食べる時に、卵が茶碗の外に落ちないように、いい感じにですね、くぼませたりするじゃないですか。例えば、パスタ茹でる時に、一緒に、レトルトソースを同じ鍋で茹でたりするじゃないですか。もっと言えば、洗濯機を回している時間に、部屋の掃除すませちゃおうとか思うじゃない。

そんな小さな些細な細々とした生活の工夫にひとり悲しくなって、誰もいない敵にひとり挑んで、呆然とすることはない?悲しくなって、その鍋ごとを全部捨てちまいたくなるよ。

もったいなくてできんけどね。

 

生きるために古本屋をしているのか、

古本屋をするために生きているのか。
時々わからなくなるよ。
死ね、死ねと、自分に言う心で死ねない手が髭を剃る。

 

「人を傷つける人が、傷つけられることには不寛容なのも不思議なことね」

 

その人が死んだら、いや死んでも気づかないでしょう。いつも通り、省みずに「ムカつく」だの言っていれば良いのですよ。あなたが殺したとしても。いいじゃないですか。ムカつくと言っていればよかったのだから。いいじゃないですか。誰もあなたの言葉に興味ないんだから。

不平不満も生活の糧、ですよ。その糧で食べるご飯も美味しいよ。きっと。

 

僕は気づけば、売った本のお金でご飯を食べている、お酒を飲んでいる、誰かに手紙を書いている。文字通り、本に生かされている。

本を売ることに深い意味を持たせたくはない。けれど、本を売ることにドライ乾燥になるほど乾くこともできない。ただ、本が好きだった。好きなだけ。好きになっちゃった。好きなものなら、いつまで売っていても買っていても嫌にならない。今まで見たこともない本にどきどきする。古本を買い取った時に、何人かのお客さんの顔が浮かぶ。いいでしょ、と言った詩集にいいですねぇ、と18歳の男の子がにやつく。よかった、届いた。と思う。会話なくとも、つけた価格でさらりとお客さんが買って帰る。それが、もう、たまらなく嬉しい。

その瞬間のたびに呼吸が続く。

 

古本屋で生きる。

古本屋で死ね。

他にできることもない。

他にしたいこともない。

頁をめくる音で息をしろ。

誰かが生きた時間で己を生かせ。

誰かが死なないために、古本屋で死ね。

 

 

店、開けずとも(防空壕における読書のすすめ)

久しぶりのブログ更新。

店臨時休業中のダメ店主です。

 

今週月曜の朝、というより未明。

右眼に激痛が走り、起きて見てみると赤く充血。どうやら、やばそうだとすぐさま病院で診てもらうと、思ったよりもひどかったようで.「角膜潰瘍」というものになったらしい。

眼の異物感、光の刺激を強く感じ、涙が止まらなくなったりする。コンタクトの不衛生な使用が原因。心当たりがずばりとあるので、いやはや情けない。

 

このまま進行してしまうと、最悪失明。

よくなっても視力障害が残るかもしれないという。最初診てもらった先生がやけに、怖い声で「酷いですのでね。頑張りましょう」と声をかけられたしまった。

第一に、ため息。第二に、見えなくなっちまったらそれはそれとして。独眼竜古本屋店主としてやっていくしかないか、という諦め。

樹木希林のモノマネの習得、眼帯キャラクターの研究に勤しむかという、諦めゆえの前向き。

 

現在は実家にこもり、ひたすら目薬をさしつつ休養をとっている。その甲斐あってか、最初よりはいくばかり良くなってきた気もする。

ただ、すぐには良くもならないので様子を見つつ無理をしないことを心がけるしかない。

今週の土日には店を開けようかとは思う。

無理はしない。というよりできない。

酒も飲めない。飲みたいのだけれど。

 

 

時間は悲しいほどあるので、なんとはなしにツイッターを眺める。

件のウィルス関連に対する、情報、感情に溢れ、しばらくするとこれはやっぱり面白くもない。どうも、顔が見えない暗い。仕方ないと言えばそれまで。僕も、きっと、同じだ。高みの見物とはいかない。

自宅から外出しないようにという呟きを見ながら、暮らしでの細やかでくだらない呟きを見ながら、少し古本屋店主(若輩)らしいこともしてみたくなる。「こんな時だからこそ、読書を」と一口にいっても、普段読みなれている方ならいざ知らず。あまり本読まないんだけどもね、という方向けに少しばかりの本紹介でもしようかしらんと思ったりする。店を開けれない店主の暇つぶし、悪あがきと言われればそれまで。ただ、この状況を良くしなきゃ、何かをしないといけない。というのはどうも違う気もしているので、なるべく慎重に。いつもの、あなたを忘れないで。これは、僕の暇つぶしだから、付き合わなくてもいい。付き合ってくださるのなら、温かいお茶を飲みつつ聞き流して。

 

 

なるべく安く、手軽に手に入りそうなもの。

読んで難しくないもの。あまりに知られているし、あえて僕がおすすめしなくとも、みんなが知っている作家が多い。

それは僕の読書量の貧弱さから来るものなので、許してほしい。けれど、本の楽しみ方については独りよがり的にやってきたつもりだから、試食のつもりで。

 

 

①旅すること

沢木耕太郎

深夜特急」全6巻 新潮文庫

椎名誠 

パタゴニア あるいは空とタンポポの物語」

集英社文庫

「怪しい探検隊シリーズ」角川文庫

 

「深夜」はバックパッカーのバイブルと言われるほど有名なので、あまり僕が解説をしても意味がない。旅行に出れないのだから、気分だけどもという趣向なのでシンプルなおすすめなのだけれど、沢木耕太郎の文章力に引っ張られながらユーラシアを旅するのは心地がいい。第1巻、「香港、マカオ編」での「大小」という博打のシーンはよく覚えている。僕は中学生の時に、二段ベッドで夢中になって読み旅をした満足感を得た。そのためか、未だに海外に行ったことがない。

椎名誠の怪しい探検隊シリーズは「焚き火、ビール、ガハハ」「川、海、山、野宿、民宿、ビール、ガハハ」.といった能天気さが心地いい。

心の奥底からほんのりと温まる。麦酒を買ってきて、読むのをおすすめする。

パタゴニア」は椎名誠にしては、少し暗いスタートで始まる。家庭でのちぐはぐした不協和音、その中での旅の始まり。ただ、本に収められた文章、パタゴニアの風景写真は、中学生の僕に強い印象を残している。今読んでも色あせない。パタゴニアにはいつか行きたい。たぶん、そのいつかは来ない。

 

②怠けること

荻原魚雷

「本と怠け者」ちくま文庫

「書生の処世」本の雑誌社

 

梅崎春生

「怠惰の美徳」中公文庫

 

僕が怠けることに、なんのためらいも恥じらいもなく、堂々することができたのは荻原魚雷さんの随筆本に出会えたことが大きい。

 

「借家に住み、あまり働かず、日中はたいていごろごろしている。古書店めぐりをすませたあとは、なじみの高円寺酒場で一杯。」

-「本と怠け者」裏表紙あらすじより

 

この一文でもう最高じゃないか。

いっぱい働きたくない、飢え死にしない程度に稼ぎたい。本を読んで、酒を飲めたら、それでいい。たゆたえでも、沈まない暮らし。前向きというよりかは、下向きな生き方なのだけれど、今怠けていることに引き目を感じている人におすすめしたい作家。

そんな荻原魚雷さんが編者になっている「怠惰の美徳」は梅崎春生ナマケモノ随筆集となっている。読んでいてもくつくつと笑いが止まらない。あわせて、どうぞ。

 

③嫌いとは言わずに...

 

村上春樹 初期三部作

風の歌を聴け

1973年のピンボール

羊をめぐる冒険

講談社文庫

 

短編作品集

パン屋再襲撃

中国行きのスロウ・ボート」中公文庫

カンガルー日和

 

村上春樹、読んで嫌いな人は流していただければ。まだ読んだことがなく、気になっている方向けに。素直にデビュー作「風の歌を」から始まる初期三部作を続けて読むことをおすすめする。

 

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」

こんな一文から始まることに、どきっとする、

 

部屋にいながらにして、潮の香り、あるいは北海道の山小屋の冷たさ、BARで喧騒、夏の孤独を味わうことができると思う。「羊をめぐる冒険」のラストシーンはいま読んでも、ぐっとくる。この時も是非、缶ビールを買って横に置いておいてほしい。

 

軽めに読み始めたい方は、短編作品集がおすすめ。学生時代の僕は「パン屋再襲撃」を読むためだけに、深夜マクドナルドに行きチープな味のハンバーガーをもぐもぐ食べた(何故マクドナルドかは作品を読んでいただけたら分かる)

「中国行きのスロウボート」、安西水丸さんの装画がお洒落で持っているだけで楽しくなる。

そこに収められた「午後の最後の芝生」は、若い人はなんとはなしに好きなのでは思う。

 

 

まだまだ、書きたいのだけれど眠らなくてはいけないので今日はこのあたりにしておく。

無理はしない、というよりできない。

 

僕の希望は、

店、開けれずとも古本屋をしていたい。

店舗がなくとも、本がいま手元になくとも、

本を売りたい、届けたい。

あと、酒を飲みたい。

あわよくば、君と。

 

また、会いましょう。

 

 

 

 

 

 

悲しみで心はいつも半分濡れている。

 

毎朝 ポストを見て

出してもいない手紙の返事を待つのが

私の幸福です

 

私の幸福は

ここになくていいと思う

遠くにあってほしい

感じれただけで

それで

 

毎晩 テレビを見て

何気なく笑ってしまった声が響いたのが

私の悲しみです

 

 

悲しみで心はいつも半分濡れている

幸福な心は増えるたび 少しずつ湿てゆく

 

片方しかない靴下が私です

家にあるはずの

もうひとりの靴下は

どこで

埃をかぶっているのだろう。

 

酒も涙も言い訳と。

 

昨晩はお酒を飲みすぎた。

昨晩は、である。

昨晩も、ではなく。

そこは強く主張していたい。

(日付が変わってしまったので正確には一昨日か)

 

書かなくてはいけない、小さな原稿も遅々として進まず、進まなければ酒を飲みたくなる。

「ちょっと学んでくる」とシェアハウスの同居人に話して表に出る。友人が夏にオープンした呑み屋に行くのを僕らは「学んでくる」と言う。店の名前は別にあるのだけれど、店主の名前が「マナブさん」なので「学んでくる」とふざけて言う。呑み屋で学んだことはだいたい一夜漬けで、身につかないと思うけど。

 

気づけば、コップで熱燗ひとつ、レモンハイの三杯ほど飲んでいた。友人が途中からやってきてくれて、色々話しこむ。

「藤井さんが老害化しないように祈っています」という意味合いのこと言われながら、いやおそらく老害というより、そもそも僕自体が害なのではないかと思ったりもする。

二人で大林宣彦監督のドキュメンタリーを眺めた。

 

有り体に、ほろ酔い。いい塩梅。これくらいの心地の時にやめればいいものを、家に帰る友人を眺めつつ、足はひとりもう一軒に向かう。

いつもの焼鳥屋さんで、せめてもう一杯。

一杯だけが、いっぱいに。なんてくだらない洒落を今まで何回自分に言っただろう。

熱燗一本、いいですか?とか言いながら、すでに自分が酔ってしまっていて、果たして一本を美味しく飲めるのかが定かではない。

ちびちび飲んでいたら、試作だから食べてみてと鶏そぼろ丼的なものを頂く。旨い。これで終わりたい。けど、まだ徳利にはお酒が残っている。最後の方は子供がかけっこして、サイダーを飲むように飲んだ。

 

有り体に、飲みすぎ。気持ちが暗くなる。

物事を悪いほう、悪いほうに考えはじめる。

さっきのいい塩梅が頂上だったのだ (えらく低い山だとは思う)今は下り坂。そうなってくると死にたくなる。もういっそ、死んだほうがいいのではと思いはじめる。スマホで「楽な死に方」と検索する。すると、だいたい一番上に「こころの健康」ダイヤル的なものが表示される。いや、ちゃうねん、僕、楽に死にたいねんと下にスクロールしても楽に死ぬ方法についてまとめたものは見つからない。そもそも楽な死に方なんていうものはないのだろうし、ムシのいい話なのだ。

 

夜、誰もいなくなった台所で包丁を眺めてみる。普段みんなが使っているのを思い出しながら、「これ、そういえば切れ味悪かったな」と元に戻す。逆に刃渡りが長いものを見ると、「いや、さすがにこれは無理。わしゃ三島由紀夫じゃないし、ハラキリは無理」と、普通に怖くなる。手頃な紐はなかったかなと思い出そうとしてたら、間違って引き抜いてしまったパーカーの紐しかないことに気づく。そうなってくると、そもそも、ここで死ぬとみんなに迷惑かけちゃうなとか気にしはじめる。海に飛び込むのは今の季節、寒そうだしな。道端で野垂れ死ぬのも、その通りがのちのち心霊スポット的な扱われ方されたら申し訳ないしな、と色々各方面の面倒さを感じて大人しく部屋に戻る。

 

ぼんやり、眠さと酔いの中で、そもそも生きることのほうが周りに迷惑が少なそうだと気づく。最近、常連になった高校生の子にお願いして書いてもらう「看脚下」の張り紙を受け取らなきゃだし、来月後輩が尾道に遊びにくるって言っていたっけ。NHKのディレクターさんもまた取材も兼ねて遊びにきますと言ってくれていたし、そもそも新刊本の支払いが終わっていないのが多数ある。あ、週末に常連さんと店終わりに飲みに行きましょうと約束してた。というより、僕原稿書かないといけんじゃろ。前の本屋トークショーで「10年店を続けるのが目標です」とか偉そうなこと言ってしまったな。何よりお客さんが来れなくなってしまうのは、やはり僕もそれは悲しい。と死ねない理由、というより死ににくい理由(言い訳)の数々を思い出し、もう面倒になって気づいたら寝ていた。

 

ぼんやり、いつも通りにむくんだ顔で昼過ぎに起きて、居間のストーブに温まる。腹が減る。何か食べようと思う。

 

「まだ死ねないな」

「もう少し、死ぬのを延長しておこう」

「いま死んでも、あんまり面白くないしな」

を、毎日繰り返す。

 

 

追記

さっき、深夜に来た初めてのお客さんと少し喋ったとき、「まぁ、お互い死ぬまで頑張っていきましょう」と言われる。

 

死んだあとは、さすがに本は売れんしなぁ、

生きているうちに本を売っておこうと訳の分からないことを考える。

「ラジオは時々、神の声を流す」

 

 

時々、宛名も住所も書いていない手紙を貰うことがある。書いてあったとしても返信不要と書いてあったりもする。それを僕は黄色いポストから受け取り、開け、読む。そこに書かれた文字を読みながら、書かれなかった時間について考えたりもする。僕は瞬間的に返事をすることはできない。しばらく経ってふと、あなたに会って声を聞きたくもなる。けれど僕はあなたに会うための住所も名前さえも知らない。

 


だから、僕にとってこれは、あなたへの返信だ。もちろん、あなたとは今これを読んでいるあなたのことだと思っていい。僕は今日も知らない「あなた」にこれを書く。あなたが僕に手紙を書いたことも、送ったこともないとしても。あなたが僕を憎んでいたしても。嫌っていたしても。あるいは呆れて興味を無くし、顔も見たくないとしても。僕は絶えず、あなたから宛名も住所も書いていない手紙を受け取る。

 

 

 

あなたにひどく悲しいことがあって、しかもそれが波のように満ちひきがあり、絶えずあなたを苦しめているとする。あなたは誰かに救われたいと思う。けれど、あなたが苦しいとき、人はあなたを救うことは究極できない。あなたの苦しみはあなただけのものであるし、そんなときに救われるためには、あなた自身が誰かの言葉を救いだと思うことが必要であったりする。必要なのは言葉じゃなくして、時間かもしれないし空間ということもあるかもしれない。

それは、言葉じゃなくして音楽かもしれない。

それこそ、本ということだって。

あなたが救いだと思えたのたら、なんでも。

 

 

ラジオは時々、神の声を流す。

神と言ったって、キリスト教や仏教の番組のことを指すのではない。(いや、もちろんそれがあなたの救いなのなら、それでも良いのだけれど)

神の声を聞く方法。

それは、あなたがひとり深夜になんとなくつけていたラジオから流れてきた音楽、歌手の声を聞いて、「あ、神の声だ」と、ふと思うこと。それだけでいい。そんな浅はかな神でいいのかと、僕が小学生時代に通った学校のシスターは怒るかもしれない。けれど、神は、神という言葉は人が作ったものなのだから、僕たちがラジオから流れた音楽を神の声と思っても悪くない気がする。僕たちは日常的に神の存在を作る。「◯◯、マジで神」って。マジで神。自分の言葉では言い表せない心の震え、感情の揺れ、ざわつき、を使い勝手よく「神」.という言葉にすり替える。

神を作ったのが人間なら、「神は死んだ」といったのも人間。僕たちはいつも都合よく、神を作り神を殺す。

 

僕は時々、ラジオから神の声を聞く。

君はどこで神の声を聞いている?

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昨日も定休日なのに店を開けていた。

八月の無休営業を終えて、開け癖がついたのか店を開けていないと落ち着かない。定休日の夜に何をしたらよいか分からず、なんとなく開けてしまう。土日も体力が残っていれば深夜、店を開けている。開けていれば、ひとりふたりとお客さんがやってくる。お客さんといっても酔いの帰り道に立ち寄った人や、店を終えてきた知り合いだったり、旅行のついでにふらっときたカップルだったり、まぁ、そのそれぞれ。

 

有難いことだと思う。素直に。

この小さな町で深夜に開けていて、お客さんが訪れること自体が奇跡的なことかもしれない。

 

僕はどうして今日も店を開けているんだろう。

誰もいない店内で本棚を眺めながら、ふと。

お金をそれなり稼いで明日も酒を飲みたいから。本を売っている時間が楽しいから。暇になって意味のない考え事をしたくないから。見えない何かに抗っていたいから。本が単純に好きだから。どれも当たっているし、違うような気もする。

 

店を開けていると、この瞬間のために生きてきたと思える時間がある。このお客さんのために、今日僕は店を開けていたと思えることも。逆に駄目なときはとことん駄目で、そんなときに百円の本に一万円札を出されただけで腹が立つ。店内の写真を撮りまくる女の子に毒のひとつも言いたくなる。酔っ払ってからんでくる知り合いを殺したくなる時も、たまにある。

店の中で呼吸をしているようなものなので、店で起こる出来事のひとつひとつが、そのまま直接僕の肺へと届いてくる。そして、僕は溜息をついて吸ったものを吐き出す。

いい時も悪い時も。

 

駄目なときは、とことん駄目。そういう日もあるさと開き直るぐらいの図太さは、まぁそれなりに最近は。じゃなきゃ、こんな阿保な古本屋を開け続けていない。

 

僕にとって、ここが、この時間が救いなのかもしれない。一日、悲しいことがあったとしても深夜いつも通り開けていることで、「弐拾dB」としては生きていくことで、僕は救われてしまう。今日まで、今まで来てくださったお客さんとの時間があったから続けてこれた。この瞬間のために生きていたんだと思う夜があった。一人ずつ一冊ずつ届けてきたから、その人たちの声があったから。嘘くさく聞こえるかもしれない。けれど、僕は救われたいから店を開けている。救われたいから、深夜、誰かを、お客さんを救いたい。自分の手のひらで掬いとれるところまで、救いたい。嘘くさくとも、そう思っている。

 

********************

 

あなたへの返信と言っておきながら、自分の話ばかり書いた。僕は僕のことしか書けない。だから、この返信が深夜の気休め程度に読んでいただけたら充分とさえ思ったりしている。

あなたのことはあなたが書くしかない。

あなたはあなたしか生きることはできない。

否定されたとしても、愚かだとしても。

 

 

今日も、あなたは生きてしまった。

眠れない夜があって、ふとラジオつける。

本を開く。音楽が流れる。言葉が流れる。

神の声をあなたはどこで聞いている?

 

あなたを救うのはあなた。

でも、

時々、

あなたの声は誰かを救うこともある。

少なくとも、

深夜に店を開けている男ひとりは。

 

また、お手紙お待ちしています。

会うときまで、さようなら。