何に酔う。

 

店を終えて、隣町まで久しぶりに呑みにでる。

いつもの白いカウンターのお店。

空いてる席がひとつしかなかった。

中年夫婦と酔った爺さん二人組の間。

僕が頼むまでもく「麒麟よね」

もう何回も繰り返された言葉。

「ゾウさんのほうがもっと好きです」

と心の中で答える。

ちびちび呑んでいたら、爺さんの二人組は若い男女の二人組に変わっていた。

「お兄さん、よく来るんですか?」

そんな言葉をかけられたりして

「お兄さん、何歳なん?」

とこちらは中年ご夫婦。

「26歳です」

笑いながら答えている。

何が面白いねん、僕は。

すぐに笑ってしまう癖がついたのはいつからだっけ。

はじめてのきたのは、きっと父親と一緒にきた小学生のこと。まさか、こんな呑んだくれになるとはね。

「服似てますね」

これは僕の言葉。

「ほんとっすね。僕古着なんすけど」

僕はGUだよ。

(自由を着せられているんだよ。)

とかは言わなかった。

二組の間に挟まれてやんやと、一言二言話したり呑んだりする。

「付き合って三ヶ月でしょ」

「なんでわかるんですか」

客商売をはじめてからは、なんとなくそんなことがわかるようになっただけ。

だって会話がおさまると彼はひとり言で空気を埋めるから。彼女は下を向いて笑うから。

「お兄さんはどうなんよ」

と中年夫婦。

「まぁ、その、はい」

と言うと奥さんが察して

「いろいろあるよね」

「昨日、僕誕生日だったんすよ」

何をあげたの?と僕が聞くと、彼は胸元のアクセサリーと靴を見せてくれた。

彼女は照れ臭そうに笑っている。

(僕はそこにいたんだよ。僕はきっと、いつかは)

「ええなぁ、早よう免許とらなぁ」

奥さんは呆れてそっぽ向いて呑んでいる。

(僕はいつかはそこにいるのかな。大きな腕時計をつけて)

 

若い方がさきに帰って、

夫婦のほうがあとに帰った。

帰る直前、肩を叩かれた。

 

誰もいなくなったカウンターで飲みきれなさそうな麦酒の入ったコップを握っている。

いつものお母さんが僕を見て、小さく優しく笑う。前一緒にきた人はどうなったんなどと聞いてくれたりする。

「まだ若いけぇ、大丈夫よ」

 

僕も笑いながら勘定を済ませて外にでる。

 

(自由を着せられて歩いている。

僕もそこにいた。僕も、いつかそこにいた。

 生きながらえたのは、言い訳をしたからか。

それとも笑っていたから殺されずに済んだだけ。笑うなと言うなら、死ねと言え、酔うなと言うなら、死ねと言え。)

 

 

 

 

 

 

 

ものがたり中毒(あるいは二日酔い)

 

月夜の晩、住宅街の公園。遊具も鉄棒なんかしかないような、寂しい、少し広い公園。

男と女がふたり並んで、藤の花が屋根になっているようなベンチに座っている。男と女がふたり並んで。ベンチに座っている。猫なんかが歩いていたりする。女は煙草を吸っている。男は...男はどこか所在なさげだ。月夜の晩。目の前の道路を単車が走り去る。それを合図にか、男は女から煙草をとりあげ口元へ彼の口をつけた。そのあと、男は彼女の煙草を不慣れながらにゆっくりと吸うのだ。何か言葉を待つようにゆっくりと、吸う。猫はいつのまにかどこかに消えていた。

その街には海はなかった。

 

 

日々を暮らすというよりかは、日々をやり過ごしているといった方が近い僕の生活。意識していないと単調な作業の繰り返しになる。

だから、僕はいつか読んだ見た聞いた物語を思い出して、気づけばひとり妄想の世界にふけこむ。もしくは、自分の身の回りに起こる出来事を、ひとつひとつ物語的に仕立て上げてしまう。その時、僕は一登場人物にすぎず、まるで台詞を読むかごとく、自然と次の言葉を喋っている。「僕も、秋が好きですよ」

 

いつまでも物語を続けていけば苦しくない。私の生活はつくり話。私の生活は、物語。嘘じゃなかった。だって、私の生活は物語のなかの本当だから。あの瞬間は本当だったの。

出来すぎてるよ、と言われて。

 

けど、あなただってそうでしょう?

あなたの暮らしの隅々まで、あなたが読んだ物語が染みこんでいて、あなたの言葉はどこからか借りたものだと思うのだけれど。どうして、自分の言葉だって言えるの。

どうして、あなたの怒りや悲しみが、自分のものだと言えるの。私の悲しみがあなたの悲しみかもしれなかったように、あなたの悲しみも誰かにとって代えられるものかもしれないのに。

 

ものがたり中毒。

そんな言葉を思いついて、僕はもしかしてそうなのかもしれないと、ふと。妄想話をお客さんに話してみては、苦笑いされる。そんな生活。

 昔、とある女性に「藤井くんは自分が空っぽだと思っているから、そうやって本や音楽や映画に影響を受けて暮らしているんだよね。自分が空っぽだとわかるのが怖いから」みたいなことを言われたことがある。(そういえば、あの駅の待合室はとても静かだった。寒かったけれど、どこか暖かった思い出がある。思い出も物語になってしまうのかしら)

 

こうして深夜に店を開けているのも、ものがたり中毒だからだろうか。時々、ぼんやり考える。

あるいは、そうやって自分に酔っているんでしょって言われたりなんかして。また、そうやって自分に酔って。なんて。

 お酒に酔わずに、自分に酔えるなんて、なんとお金のかからないことなんだろう。ほとんどただで酔えるなんて、なんと素敵なことだろう。ちなみに、自分の酔いすぎで二日酔いになった場合はどうやったら治るんだろう。何を飲めば、楽になるんだろう。

 

 

その街には海がなかった。

彼はその瞬間海が見たくなった。

たまらなく、潮の香りを嗅ぎたくなった。

けれど、彼の目の前には小さな砂場しかなかった。

 

「今日は半月だ」

男はぽつりと言葉を砂場に落とした。

「私が半分食べたの」

女の目には食べ残しの月が反射していた。

 

(これも、ひとつのつくり話)

 

 

書けなかったもの。

「大きくなったら何になりたい?」

そんな問いを今になっても時々考える。

僕は、本当は、何になりたかったのだろう。

 

 幼稚園のとき、僕は水博士と言っていた。

そのとき、水遊びが好きだったから。

ただそれだけの理由。

 

小学生の時は、お笑い芸人と書いていていた。

その頃、お笑いにはまっていたから(オンエアバトルに知らないコンビや芸人が出てきたらノートに書きまとめていた。同級生とも即席でお笑いトリオを作った。「すりみとうがらし」というよくわからない名前だった。)

ただそれだけの理由。

 

小学生の高学年になったら自衛隊って言っていた。自衛隊の船を見に行ってかっこよかったから。

ただそれだけの理由。

 

 中学生、高校生はよく覚えていない。

高校生のときに、なんとなく自分は普通の仕事は無理だろうと思った。し、無理だと思いたかった。自分は他人とは違うと思いたかった。

 大学の進路を決めるとき、心理学部にいこうと思ったことがあった。「百万円と苦虫女」で森山未來の役が心理学科の学生だったから。

森山未來が好きだったから。

ただ、それだけの理由。

 父親と東京の大学のいくつかを一緒に見に行った。どこもお洒落で、歩いている学生も華やいで見えた。けれど、そこにいる自分を思い描けなかった。その街に暮らしている自分が想像できなかった。後で受けた模試の結果は、どの大学も僕がいけることができるレベルではないことを思い知らせたのだけれど。

 

好きな女の子にフラれた。というよりフラれ続けた。高一の夏、高二の冬、高三の夏、同じ女の子にものの見事にフラれ続けた。

「○○先生が好きなので、藤井くんとは..」とメールをもらったとき、僕は友達の家が営む本屋さんへ「人間失格」を買いに走った。おばあちゃんの部屋で夢中で読んで、その日のうちに読み終えた。

おもしろかった。しばらく部屋の天井をぼんやり眺めていた。そのあと、兄に勧められて中原中也を読んだ。文庫本におさめられた詩の何編かを読んでなぜか分からず、涙が流れていた。

 だから、文学部にいこうと思った。

ただ、それだけの理由。

 

(京都の大学を目指したのも、京都旅行から帰った兄が僕に「絶対、京都の街が好きだと思う」と言ってくれたから。僕も「そうかもしれない」と思ったから。ただ、それだけの理由。)

 

そんな僕が今は、古本屋としてなんとか生きている。生きてしまっている。他にしたいこともなかった。できそうになかった。これしかないと思いたかった。ただ、それだけの理由で。

 

 

今年の五月に初めて、小説を書こうと思った。

知人に「藤井くんなら何か書けるんじゃない?」と「京都文学賞」なるものができたことを教えてもらったから。

京都を舞台にした作品であれば、どんな内容でも可という募集要項。

 

僕なら書けるかもしれない。

と思ってしまった。

書きたいこともあった。京都を生きたかったけれど、僕のように生きれなかった人がいると思った。そんな人たちのために(自分のために)何か書けるんじゃないかと。

けれど、いつのまにか募集締め切りの九月末になってしまった。ワードの一頁も埋めることもできず、夏が終わってしまった。

 

書けなかった。書かなかった。書こうとしなかった。

なんとでも。

 

そういえば、別の依頼でのエッセイ原稿もまだ書けていない。間に合うのか、と思いながらも、たぶん書き始める。誰かにお願いされたのなら、いくらでも書きたい。

求められる私がいるのなら、なんて。そんな。

 

 

 いま、私たちが生きている生活のなかで、書かれたものと書かれなかったもの、どちらが多いのだろう。きっとそれは、断然、書かれなかったものだと思う。こうして、僕が今まで書いた文章には書かれなかった事柄が沢山あって、書かれなかったものに実は本当があったりする。

けど、も、さ。書かれなかったものたちはなかったことになるのだ。書くことができなかったこと、書きたくなかったこと、書こうと思えなかったこと。みんな、無かったことになるのだ。それは悲しいことかもだけれど、けれど。

書かれなかったことを僕は、私は覚えている。忘れたりするけれど、思い出したりする。

そんな時間もなかったこと?

意味のないこと?

はじめから、そうだったように笑ってしまうの?

書かれなかった時間があったから、

書かれた言葉があった。

そうだと思って。

 

せめてもの言い訳として、

ここの古本屋が僕が書きはじめた小説。

これが僕の小説。私の生活が、一日が、書かれなかった小説。あなたが来るまで、物語の続きが書かれなかった、一冊の本。

 

「大きくなったら何になりたい?」

僕は本当は誰かのための一冊になりたかった。

少しだけ誰かのために生きたかった。

ただそれだけの理由で。

夏の雪が降っている

 

夏は人の死が肌の近くに感じられて、

それが薄着のせいなのか

お盆なんてもののせいなのか、

わからないけれど、

幽霊が見えたらいいなと

お腹が空くたびに思ってしまう。

水族館にいる魚は

ほとんど死んでいるみたいだった。

死んでしまった人の左手にも

生命線が残っていて、

目の前のこの景色が生きているかどうかなんて

私には永遠に分からないと思う。

ちゃんと、動物すべてにおいしそうだと言える人でありたい。

私のこと忘れないでと願うたびに、

きみは私を忘れていった。

かならず帰る、という連絡ほど、

人を、幽霊にするものはない。

最果タヒ 「精霊馬の詩」

 

 

 

 八月十五日は台風が通り過ぎた。

電車の音が無くなり、時折虫の声が風に混じって聞こえた。嵐がきているというのに、普段よりも静かだった。東風さんとの朝営業を終えて、昼ご飯にとんかつを食べた麦酒を飲んだ。(もしかしたら今日、世界が終わるのかもしれない)そんな妄想をしてしまうほど、静かでいつも通りで、つつましい時間だった。

 

お昼を食べ終えシェアハウスに帰る途中、

東風さんが

「夏の雪が降っている」と言った。

さらさらと降る小雨のことを指しているのだった。

それいいねぇなんて僕がにやつくと、何かに使っていいよとケラケラ笑った。

 

夏の雪が降っていた。

まるで、年末のような優しい静けさだった。

 

ちょうど年末のことを考えていた。

店をはじめて去年あたりから、年末に向けて毎日を過ごしている節がある。あの時間、あの季節に向けて、日々一瞬一声一秒を無駄遣いしている。

 

八月十六日。

遅めに起きて、実家のある隣町へ。

せめて墓参りだけでもしたかった。

なんとなく、お盆というのは死者が空から帰ってくる印象があった。空からやってきて、空へいつ間にか消えている。けれど今年のお盆が近づいて、そうじゃない気がしてきた。

空からやってくるというよりも、地面から、あるいは自分の足元から、底から、体を通して、私の体に一緒にいるような感覚。

死者が、生きている私の体の中で少しの間一緒に生きている。そんなイメージを抱いた。

私が喋っているのは、彼女が(彼が)喋っているのではないか。そんなことを考えてみたりも。

 

でも、と思う。

彼女と共に生きていた時間はそれほどまでに美しかっただろうか。綺麗な言葉で語られない、生々しくも現実的な浅はかさがあったじゃないか、と。死んだら、みんな、忘れつつも、少しずつ透明になっていく。思い出される事ごとは、丸くなっていく。

 

彼女が死んだのは、冬だった。

京阪電車深草駅に着いた時、母から電話があった。就職先の研修バイト帰りだった。そのまま僕はスーツで新幹線に乗った。

(切符を買うとき、何度も窓口のお姉さんに「この切符であってますか?」と聞かれた。はい、あってますと答えていざ改札を通そうとすると、バーが出て通り抜けできない。よくよく見ると、それは福山から京都に向かう切符。よほど帰りたくなかったからかもしれない)

冬の雪は、降っていただろうか。

 

今日、世界が終わるのかもしれない。

そんなことを思ったのは夏の、普段着の一日だった。

今日、僕が終わってしまえばいい。

そんなこと思ったのは冬の、一人暮らしの部屋の夕暮れだった。

 

気づけば、今日まで生きてしまっている。

いつのまにか、自分は死なないような気がしている。死ぬということを時々忘れている。目の前にいる、その人が生きているということを忘れている。何気ない言葉でその人の一瞬を殺してしまう。逆も然りか。

 

死んだものに耳を澄ましても

声は聞こえるのでしょうか。

生きているからといって、

声があるのでしょうか。

 

時々わからなくて、

僕はなんとなく笑いでごまかす。

ひとりになって、ごめんなさい。

と誰に謝っているのか分からず、

謝っている。

 

 

売る魂もない。

「あの人は魂を売ったね」

という言葉があって、そんな魂を買った人は何円で買ったのだろう。買った魂をどうするのだろう。そもそも魂は売り買いすることができるものだろうか。中古品の魂だなんて、欲しい人なんているのかしら。そんな僕は売る魂もない。売れる魂もない。あるのは借り物の言葉ばかり。借りたままで返す相手を、時々、忘れてる。

 

「この魂が飲めるかい。水も氷もなしでさ。」.

-中島らも「今夜、すべてのバーで」

 

言葉は思いを伝えるツール、なんて考えが好きになれない。むしろ、言葉にとって僕らが道具になっていたりする。言葉に操られている。

名前だなんてものに安心しちゃってさ。

素直さが大事だけど、時々疑いもなく言葉を「使っちゃてる」人を見ちゃうとなんだかね。酒が飲みたくなるよ。不器用さを器用に語られちゃうのも悲しいよ。言葉に操られながら、小さく踊ろうか。

 

「広告」という博報堂の本が入荷して、毎日一、二件電話が鳴った。定価が一円。一円というひとつの広告だよ。メルカリだったら二千円で転売されてるんだってさ。これが無料だったら、みんな読んだのかな。タダより高いものはない。なんて。ほんとそうだね。この本を売りながら、バイト代を貯めて高い本を買いにきてくれるお客さんのことを思い出した。

 

 

 

口を噤んでしまったときの声。

「この予想は外れてほしいのだが、この先、たぶん日本は貧乏になると思われる。豊かになると、貧乏生活のためのインフラや文化が失われる。復興といっても、今まで通りの生活レベルに戻すだけでなく、貧乏でも楽しく生きていく道も考えていきたい。それが今わたしにできること」荻原魚雷「これからどうなる」-「書生の処世」収録。

 

これは、僕が敬愛してやまない「たゆたえども沈まない作家」荻原魚雷さん、2011年の文章。

今から8年前の文章ということを思うと、なんとも言えない。外れてほしい予想は、見事に的中してしまっている感がある。

 

この国は果たして豊かになったのか?

仮に豊かになったのだとしたら、その豊かさとは何か?おそらく僕が常日頃思う豊かさとは、少し違う気がしているのだけれど、君はどうか?

 

今日は参議院選挙の投票日。

この季節になると、選挙にまつわる言説がSNSに飛び交う、色めく、はためく。

あまり正直すぎる文章を書くのは時々ためらわれるのだけれど、どうもあの雰囲気は好きにはなれない。「選挙にいきましょう」「選挙は権利だ」「選挙にいかない奴は馬鹿だ」と様々な言葉を目にすると、天邪鬼の僕は逆に選挙に行きたくなくなりもする。そういう人は少ないと思うのだけれど、君はどうか?

 

小さな声を政治に反映させましょう。と彼は言う。けれど、その声自体がより小さな声を排除してしまっている可能性はないか。

あなた個人の声が、ある程度の形をもったグループの声になったとき、あなたの小さな声は誰かの大きな声になってはいまいか。

その時、一歩引いてしまった人々の声は無かったことにはなるまいか。

僕は時々思ってしまう。

 

 

とある常連さんが、フェイスブックの投稿で

「僕は選挙に行かない人も尊重される社会であってほしいと思います」

と書かれていたことに、その風通しの良さに救われる思いもした。

 

少し話がそれる。

こんな、ままごとのような古本屋を開けていても様々な本がやってくる。堅い思想書もあれば、文学も、絵本もエロもある。政治にまつわる本もチラホラとある(だいぶ偏りがあるけれど)時代もばらばらだ。

そんな本たちを眺めながら、ふと思う。

政治にまつわる本だけが、果たして政治的であろうか。それは違う。多かれ少なれ、ここに並ぶ本は全て政治とは切り離せない。その時代、その時代で書かれた(描かれた)ものたちは、同時代の音や、匂いや、色の中で生まれた。政治について書いていなくとも、意識していなくとも政治とやらにたどり着く道がある。それは自然なことだ。

 

だとすれば。だとすれば、その本たちに触れている時間もある意味では政治的であると思う。花を愛で、お菓子を食べ、好きな音楽を聴き、話題の映画も見ることも、ひとつの政治ではないのか。政治を語ることだけが政治ではない。

選挙に行こうと語ることだけが政治ではない。

今あるものを、今あなたが愛しているものを愛でていく時間もひとつの政治だと思う。

 

もうひとつ。

僕たちは政治を語ることを大きなことにしてはいまいか。時々立ち止まっていたい。語ることに熱中するあまり、目の前にいるひとやものやことを見失ってはいまいか。目の前で倒れている自転車があれば起こすこと。道で人会えば、おはようと挨拶すること。トイレットペーパーが切れたら交換すること。咲いている季節の花に目を向けること。そういったことに実は政治があるのではないか。大きなことでなくして、いつも通りにあってほしい。語ることも、手を握ることも、笑うことも。

 

あとひとつ。

僕が愛した詩人たちは、かつて戦争中多くの愛国賛美の詩を書いた。去年の8月入荷した「愛国詩集」という本には名だたる詩人の名前が並んでいる。

高村光太郎三好達治草野心平...。

あんな美しい詩を書いていた詩人たちが、こうも陳腐な詩を書いてしまうのかと悲しくもなり、やるせなくもなった。

書かざるえなかった時代。と言えば、もちろんそれまでだけれど、だけれど、だけれどもどうして、という言葉が何度も浮かんでは、僕は、夏の深夜、泣いてしまった。

あの時代になってはいけない。世の中は分かりにくく変わっていく。分かりやすくは変わらず、徐々に分かりやすい言葉が自然と言えてしまう空気になるのだと思う。

だから、どうか、あなたの声を忘れないで。

 

 

 

誰かが口を噤んでしまったときの声を

僕は聞いていた。

Taxi driver

店をはじめるとき、夜になると商店街沿いに並ぶタクシーが気になっていた。

歓楽街から帰る、呑んベエ客を待つタクシーの波。一台、また一台と流れやってきては、波のひとつはそこに漂う。

 

その表通りから一本路地へ入ったところに店を構えた僕は、そんなタクシーを疎ましく思った。通り沿いに表看板を置いても、タクシーの陰に隠れてしまい、見つけることができない。

排気ガスや、エンジンの音がうるさく聞こえてしまう。

 

 店を始めて、しばらくすると路地へ男性がひとりおもむろに入ってくることがあった。その男は路地の壁に向かい、ズボンをもぞもぞとし始めている。煙草を吸いに外へ出ていた僕が何事だろうと眺めていると、たちまち情けない水の音が聞こえてくる。立ちションだ。腹が立った僕はその日から、路地に立ちションをしようとするタクシーの運ちゃんを煙草を吸いながら早足で近づいて追い払った。

近所に住む、あるお客さんにその話をすると「まぁ、タクシーの運ちゃんらも昔からそうやってきた訳だから...」と、とりあってくれない。僕はもうタクシーの波が嫌いにさえなっていた。

 

けれど、同時にそんな客待ちをしているタクシーの運ちゃんが、お客さんとしていつか店に来てくれないだろうかとも思っていた。同じ場所で共に深夜を生きて、来るとも分からないお客を待ち続けている。タクシーの運ちゃんもふらっと立ち寄れる古本屋になれたら、なんて。店をオープンしてから心のどこかで思い続けていた。

 

そんなことを忘れて、タクシーの波の間を避けながら三年。奥深い路地はいつのまにか解体工事によって、あけびっろげな小路に変わった。僕の店も時代に取り残されたようにぽつんと灯りを夜に零している。

いつも通りに、表看板を商店街側に出していると(表看板も初期のものから看板らしい、光を灯せるものに変わった)、ひとりのおじさんに声をかけられた。

 

「表看板出してくれとるんじゃね」

 

どういう意味なんだろうと思いながらも、「あ、はい」と僕は答える。

そのおじさんは、風貌や傍に停車しているタクシーから、運ちゃんだということはすぐに分かった。運ちゃんに声をかけられることは、今まで一度もなかった。

「あそこが古本屋なんじゃね?」

「はい、そうです」

珍しいこともあるんだなと思いつつ、小路を店まで戻る。

 

ちらほらお客さんが来ては対応して、しばらくすると、扉がすっと開いた。

さっきの運ちゃんだ。

僕ははじめて、運ちゃんが店に来てくれたことに心底驚きながらも、すごく嬉しくなった。

 

その人は、ゆっくりと店内を見てまわっている。僕は気づかれないように心の中で「どうか一冊だけでも、一冊でよいから...」と祈ってしまう。一冊でも買ってもらえたら、何か認められたような気がした。

そんなことを考えてしまっているから、読めるはずがない「中国行きのスロウ・ボート」を開いて睨んでいると、運ちゃんが帳場の前に立っている。なるべくさりげなく顔を見上げると、その人は一言、

 

 

「素晴らしいね」

 

ちょっと泣きそうになってしまった僕は、

「なんとか死なずに四年目になりました」

と答える。

「え、四年もやってるの!?」

と驚かれながら、いやぁ全然気づかなかったなぁと話される。

「死ななかったら、大丈夫ですよ」

とその人はそんな言葉を重ねて、ふと一冊の薄い本を目の前に差し出す。

「本と本屋とわたしの話」15号。

店の常連さんのことを書いた僕の文章も載っているリトルプレス。

 

僕はこの瞬間を待っていたんだ。

 

その人は去り際、「フォローしています」

と言い残した。おそらく、ツイッターのことだろう。けれど、タクシーの運ちゃんに言われると、その「フォローしています」はなぜか違う意味に響いてしまう。

 

タクシーは今夜も、

お客を目的地まで安全に届ける。

僕はタクシーに乗らずに助けられた、

はじめての客なのかもしれない。