二〇一五年一月ノ京都ハ雪。(サークルKサンクスの思い出)

サークルKサンクスが、11月末をもって無くなるらしい。ファミリーマートに変わっちゃうらしい。広島ではあまり馴染みのないコンビニチェーンだったが、学生時代を過ごした京都ではだいぶお世話になった気がする。

入学する前に父親が京都市街地図を僕にくれた。そこに記載されている「K」の文字を見つけながら、ああ違う街に来ちゃったなとも感じたのを覚えている。

大学の先輩は、サークルKサンクスを「マルケー」と呼んでいた。看板が○にKだから、マルケー。真似してそう呼んでみると、不思議な親近感を覚えた。友達のニックネームのような。

 

悲しいかな、平成生まれの僕らの心象風景にはコンビニエンスストアも含まれるように思える。

 

伏見区深草に自分の城を築いた大学生の僕は、そのマルケーで不健全な肉体になる食べ物を沢山買った。缶ビール、菓子パン(マルケーのメロンパンが一番美味いねんと言っていた友達はどうしてるだろう)、友達の家に持っていく急ごしらえのお菓子、呑み会帰りのカップ麺。コンビニ弁当は不思議と買わなかった。

 

あんなに嫌いだと言っていた煙草もそこで、買った。初めて買った煙草は赤色だった。先輩に重すぎるから違うのにしたらと言われて「ライト」と書いてある青色の煙草に変えてみた。タールはさらに重くなっていた。ライト違い。安いのにしてみようとオレンジ色の煙草を買って、あまりに不味くて惨めな気持ちを噛み締めてみたり。(辻仁成をぶん殴りたくなった。)

 

そういえば、あの街は公園が多かった。この季節には公園の木も紅葉していた気がする。金木犀の匂いも好きだった。

 

サークルKサンクスの個人的な思い出をもうひとつ。

2015年、1月1日。

実家で年越しをした僕は、新幹線で京都に帰っていた。卒論がまったく進んでいなかったし、早くアパートに戻って続きを書かなくちゃいけなかった。その時期、僕は個人的なことで、かなりしんどかった、えらかった、たいぎかった。下ばかり見てた。

京都駅にもうすぐつくときにふと窓の外を見ると、線路が白くうっすらとしている。

 

雪。

 

元旦の京都は夕方から雪が降っていた。

とても綺麗で嫌な気持ちにもなった。

そわそわとして、ひそひそとした京都駅に着いてすぐ僕は地下鉄に乗った。

 

「なめらかマンション」と勝手に呼んでいたアパートに着いて、僕は何もしなかった。外ではまだ雪が降り続いている。

夜、大雪の街を散歩に出てみた。呑み屋の前に大きな雪だるまを見つけて少し嬉しくなったが、すぐ暗くなる。どうしてか、ただただ悲しかった。寒かった。それは覚えている。

 

翌朝、煙草を買いにマルケーに行った。

あんなに積もっていた雪はちらちらと駐車場に残っているだけだった。汚かった。

買ってすぐ、マルケーの外で一本。

吸いながら、また下を向いてしまう。

エンドレスリピートでドレスコーズの「パラードの犬」を聞いている。

 

うらぶれのリゾート サリー・アストン
はかない夢と いたずらに添う

メスカリン
コンガ
すりきれの愛情
ロートレック
愛想笑い
ビ・バップ

それと サリー・アストン

色褪せたリボン サリー・アストン
アスペラ咲いたよ 大切な花壇

防砂林
ランバン
ラベルのない小瓶
ボードレール

ローレライ
イン/アウト

それと サリー・アストン

「パラードの犬」作詞 志磨遼平

 

煙草の灰を下にそのまま落としていた。

落としても落としても、

次々と灰は降ってきた。

灰、灰、灰、灰。

灰色。

煙草の灰だったと思っていたのは雪だった。

灰色の雪。あるいは雪のような灰。

 

「二〇一五年一月ノ京都ハ雪」

 

サークルKサンクスの派手な色だけが灰色の風景のなかで妙に浮いていた。

 

 

そんな思い出の三色も無くなるらしい。

もし灰色のなかで、あのお店が緑と水色だったらその時の印象は違っていたと思う。

 

今、調べてみるとサークルKサンクスの「サンクス」は太陽のように暖かく明るい「SUN」とありがとうの「Thanks」をかけ合わせた造語らしい。ちょっと恥ずかしい気持ちにもなる。名前にではなく、その時の自分がその「暖かさ」に少なからず救われていたことに。

 

あの時の自分に代わってありがとうを伝えたい。