一夜分の本たち

ゲストハウスの仕事を終えて、家に帰る。というよりは店に帰る。二階は暮らしている部屋で一階が店なので、どちらでもあっているのだけれど、店に帰るというのもおかしな表現だ。

 

23時古本屋オープン。さきほどまでゲストハウスの番台に座っていたのが、今度は古本屋の帳場に座っている。まるで座ることが仕事みたいだ。呑気なその日暮らし。その場しのぎとは呼ばないで。

 

扉を開けると、お客さんが一人また二人とやってくる。はじめてのお客さんは口々に「ここ元々なんだったのかな」とか「おばあちゃん家の匂いがする」とか「あ、暖かいね」など話している。そういえば、以前あるお客さんに「意外と(店内が)暖かいね」と話しかけられて「本があるからね」と答えたこともあった。

「それ、いいね」

 

「本があるところは暖かい」

思いがけず出た言葉だったが、我ながらに好きな言葉。

 

 常連の知り合いがやってきて、あれこれ尾道の話。「街の本屋は文化の城」などといった高尚な惹句とは程遠い店だが、ここが居酒屋でなくてよかったなとも思ったりする。世の中に溢れる店は訪ねるだけでも、だいたいお金がかかる。お金がなくとも、手ぶらでも行けるのが本屋のいいところかもしれない。店主にとっても、買ってくれないことには手ぶらのままなのだが。

 

あるお客さんから

「何か哲学系でオススメの本はありませんか」と尋ねられる。「どんな本がいいんですか」とこちらも聞いてみる。「何かこう、いきる本。いきるの字は活きるという意味の」

本のお勧めを聞かれる時、その質問が抽象的であればあるほど難しい。何かお勧めは?と聞かれて、ここが居酒屋だったらもう少し分かりやすいのにと思い直した。居酒屋ならメニューを見せながら説明できるが、古本屋のメニューは棚に並ぶ本が全て。一品ずつ説明するには夜は短すぎる。結局は自分の頭で思い当たる本をいくつかご紹介する。今日はたぶん口当たりがよく、鞄にいれても心地よい本。眠れない夜に開く本よりも、常にそばにあってほしい本。

これなんかどうですかね?と加藤秀俊「暮しの思想」中公文庫を勧めてみる。厳密には哲学系ではないかもしれない。けれど、なんとなく好きなんじゃないかなと思った。

 

一ページずつめくり、彼女が一言

「あ、いいですね」

その言葉を聞くたびに、よかった。救われた。

と思う。店を続けているのは、自分自身がお客さんに救われたいから。いや、掬われたいからか。一週間に数回こんなことがあると、また明日も一日ずつ頁をめくることができる。そんな気がする。

 

彼女が選んだ本を会計すると合計金額が2800円になった。2800円。働いているゲストハウスの一泊の宿泊料金と同じ。そう考えると、この小さな本の丘が、一夜を露に濡れずに寝るため金額なのかと思う。どちらが高くて安いという話ではなく。自分がそういったものを売っていることに小さな喜びを感じてしまう。

 

27時閉店。

表看板を下げて店に戻ると、「千夜一夜物語」の広告帯の切れ端が地面に落ちていた。

 

続きは、また明日。