Taxi driver
店をはじめるとき、夜になると商店街沿いに並ぶタクシーが気になっていた。
歓楽街から帰る、呑んベエ客を待つタクシーの波。一台、また一台と流れやってきては、波のひとつはそこに漂う。
その表通りから一本路地へ入ったところに店を構えた僕は、そんなタクシーを疎ましく思った。通り沿いに表看板を置いても、タクシーの陰に隠れてしまい、見つけることができない。
排気ガスや、エンジンの音がうるさく聞こえてしまう。
店を始めて、しばらくすると路地へ男性がひとりおもむろに入ってくることがあった。その男は路地の壁に向かい、ズボンをもぞもぞとし始めている。煙草を吸いに外へ出ていた僕が何事だろうと眺めていると、たちまち情けない水の音が聞こえてくる。立ちションだ。腹が立った僕はその日から、路地に立ちションをしようとするタクシーの運ちゃんを煙草を吸いながら早足で近づいて追い払った。
近所に住む、あるお客さんにその話をすると「まぁ、タクシーの運ちゃんらも昔からそうやってきた訳だから...」と、とりあってくれない。僕はもうタクシーの波が嫌いにさえなっていた。
けれど、同時にそんな客待ちをしているタクシーの運ちゃんが、お客さんとしていつか店に来てくれないだろうかとも思っていた。同じ場所で共に深夜を生きて、来るとも分からないお客を待ち続けている。タクシーの運ちゃんもふらっと立ち寄れる古本屋になれたら、なんて。店をオープンしてから心のどこかで思い続けていた。
そんなことを忘れて、タクシーの波の間を避けながら三年。奥深い路地はいつのまにか解体工事によって、あけびっろげな小路に変わった。僕の店も時代に取り残されたようにぽつんと灯りを夜に零している。
いつも通りに、表看板を商店街側に出していると(表看板も初期のものから看板らしい、光を灯せるものに変わった)、ひとりのおじさんに声をかけられた。
「表看板出してくれとるんじゃね」
どういう意味なんだろうと思いながらも、「あ、はい」と僕は答える。
そのおじさんは、風貌や傍に停車しているタクシーから、運ちゃんだということはすぐに分かった。運ちゃんに声をかけられることは、今まで一度もなかった。
「あそこが古本屋なんじゃね?」
「はい、そうです」
珍しいこともあるんだなと思いつつ、小路を店まで戻る。
ちらほらお客さんが来ては対応して、しばらくすると、扉がすっと開いた。
さっきの運ちゃんだ。
僕ははじめて、運ちゃんが店に来てくれたことに心底驚きながらも、すごく嬉しくなった。
その人は、ゆっくりと店内を見てまわっている。僕は気づかれないように心の中で「どうか一冊だけでも、一冊でよいから...」と祈ってしまう。一冊でも買ってもらえたら、何か認められたような気がした。
そんなことを考えてしまっているから、読めるはずがない「中国行きのスロウ・ボート」を開いて睨んでいると、運ちゃんが帳場の前に立っている。なるべくさりげなく顔を見上げると、その人は一言、
「素晴らしいね」
ちょっと泣きそうになってしまった僕は、
「なんとか死なずに四年目になりました」
と答える。
「え、四年もやってるの!?」
と驚かれながら、いやぁ全然気づかなかったなぁと話される。
「死ななかったら、大丈夫ですよ」
とその人はそんな言葉を重ねて、ふと一冊の薄い本を目の前に差し出す。
「本と本屋とわたしの話」15号。
店の常連さんのことを書いた僕の文章も載っているリトルプレス。
僕はこの瞬間を待っていたんだ。
その人は去り際、「フォローしています」
と言い残した。おそらく、ツイッターのことだろう。けれど、タクシーの運ちゃんに言われると、その「フォローしています」はなぜか違う意味に響いてしまう。
タクシーは今夜も、
お客を目的地まで安全に届ける。
僕はタクシーに乗らずに助けられた、
はじめての客なのかもしれない。