売る魂もない。

「あの人は魂を売ったね」

という言葉があって、そんな魂を買った人は何円で買ったのだろう。買った魂をどうするのだろう。そもそも魂は売り買いすることができるものだろうか。中古品の魂だなんて、欲しい人なんているのかしら。そんな僕は売る魂もない。売れる魂もない。あるのは借り物の言葉ばかり。借りたままで返す相手を、時々、忘れてる。

 

「この魂が飲めるかい。水も氷もなしでさ。」.

-中島らも「今夜、すべてのバーで」

 

言葉は思いを伝えるツール、なんて考えが好きになれない。むしろ、言葉にとって僕らが道具になっていたりする。言葉に操られている。

名前だなんてものに安心しちゃってさ。

素直さが大事だけど、時々疑いもなく言葉を「使っちゃてる」人を見ちゃうとなんだかね。酒が飲みたくなるよ。不器用さを器用に語られちゃうのも悲しいよ。言葉に操られながら、小さく踊ろうか。

 

「広告」という博報堂の本が入荷して、毎日一、二件電話が鳴った。定価が一円。一円というひとつの広告だよ。メルカリだったら二千円で転売されてるんだってさ。これが無料だったら、みんな読んだのかな。タダより高いものはない。なんて。ほんとそうだね。この本を売りながら、バイト代を貯めて高い本を買いにきてくれるお客さんのことを思い出した。