書けなかったもの。
「大きくなったら何になりたい?」
そんな問いを今になっても時々考える。
僕は、本当は、何になりたかったのだろう。
幼稚園のとき、僕は水博士と言っていた。
そのとき、水遊びが好きだったから。
ただそれだけの理由。
小学生の時は、お笑い芸人と書いていていた。
その頃、お笑いにはまっていたから(オンエアバトルに知らないコンビや芸人が出てきたらノートに書きまとめていた。同級生とも即席でお笑いトリオを作った。「すりみとうがらし」というよくわからない名前だった。)
ただそれだけの理由。
小学生の高学年になったら自衛隊って言っていた。自衛隊の船を見に行ってかっこよかったから。
ただそれだけの理由。
中学生、高校生はよく覚えていない。
高校生のときに、なんとなく自分は普通の仕事は無理だろうと思った。し、無理だと思いたかった。自分は他人とは違うと思いたかった。
大学の進路を決めるとき、心理学部にいこうと思ったことがあった。「百万円と苦虫女」で森山未來の役が心理学科の学生だったから。
森山未來が好きだったから。
ただ、それだけの理由。
父親と東京の大学のいくつかを一緒に見に行った。どこもお洒落で、歩いている学生も華やいで見えた。けれど、そこにいる自分を思い描けなかった。その街に暮らしている自分が想像できなかった。後で受けた模試の結果は、どの大学も僕がいけることができるレベルではないことを思い知らせたのだけれど。
好きな女の子にフラれた。というよりフラれ続けた。高一の夏、高二の冬、高三の夏、同じ女の子にものの見事にフラれ続けた。
「○○先生が好きなので、藤井くんとは..」とメールをもらったとき、僕は友達の家が営む本屋さんへ「人間失格」を買いに走った。おばあちゃんの部屋で夢中で読んで、その日のうちに読み終えた。
おもしろかった。しばらく部屋の天井をぼんやり眺めていた。そのあと、兄に勧められて中原中也を読んだ。文庫本におさめられた詩の何編かを読んでなぜか分からず、涙が流れていた。
だから、文学部にいこうと思った。
ただ、それだけの理由。
(京都の大学を目指したのも、京都旅行から帰った兄が僕に「絶対、京都の街が好きだと思う」と言ってくれたから。僕も「そうかもしれない」と思ったから。ただ、それだけの理由。)
そんな僕が今は、古本屋としてなんとか生きている。生きてしまっている。他にしたいこともなかった。できそうになかった。これしかないと思いたかった。ただ、それだけの理由で。
今年の五月に初めて、小説を書こうと思った。
知人に「藤井くんなら何か書けるんじゃない?」と「京都文学賞」なるものができたことを教えてもらったから。
京都を舞台にした作品であれば、どんな内容でも可という募集要項。
僕なら書けるかもしれない。
と思ってしまった。
書きたいこともあった。京都を生きたかったけれど、僕のように生きれなかった人がいると思った。そんな人たちのために(自分のために)何か書けるんじゃないかと。
けれど、いつのまにか募集締め切りの九月末になってしまった。ワードの一頁も埋めることもできず、夏が終わってしまった。
書けなかった。書かなかった。書こうとしなかった。
なんとでも。
そういえば、別の依頼でのエッセイ原稿もまだ書けていない。間に合うのか、と思いながらも、たぶん書き始める。誰かにお願いされたのなら、いくらでも書きたい。
求められる私がいるのなら、なんて。そんな。
いま、私たちが生きている生活のなかで、書かれたものと書かれなかったもの、どちらが多いのだろう。きっとそれは、断然、書かれなかったものだと思う。こうして、僕が今まで書いた文章には書かれなかった事柄が沢山あって、書かれなかったものに実は本当があったりする。
けど、も、さ。書かれなかったものたちはなかったことになるのだ。書くことができなかったこと、書きたくなかったこと、書こうと思えなかったこと。みんな、無かったことになるのだ。それは悲しいことかもだけれど、けれど。
書かれなかったことを僕は、私は覚えている。忘れたりするけれど、思い出したりする。
そんな時間もなかったこと?
意味のないこと?
はじめから、そうだったように笑ってしまうの?
書かれなかった時間があったから、
書かれた言葉があった。
そうだと思って。
せめてもの言い訳として、
ここの古本屋が僕が書きはじめた小説。
これが僕の小説。私の生活が、一日が、書かれなかった小説。あなたが来るまで、物語の続きが書かれなかった、一冊の本。
「大きくなったら何になりたい?」
僕は本当は誰かのための一冊になりたかった。
少しだけ誰かのために生きたかった。
ただそれだけの理由で。