さようならの響きで(弐周年の挨拶に代えて)

「お久しぶりです。お元気ですか?」

と、僕が呼びかけている相手は誰だろう。誰に向けて毎日、僕たちは声を発するのだろう。

きっと僕たちは毎日会っているのに。会話も声も顔も合わせていないのだけれど会っている、のに。電車の中で自分を含めた乗客が全員スマートフォンを触っていることに気づいて、その光景の異常さに気づいてしまう。そっとポケットにしまう、前を向く。窓の向こうは、街。自分が今を見過ごしている、街。僕は、黒田三郎の詩を思い出そうとしてみる。ポケットにある誰かの声の影を感じながら。

 

 

 四月二十日をもちまして、無事古本屋弐拾dBをオープンして2周年、いや弐周年を迎えることができました。月並みな言葉にはなってしまいますが、ひとえにお客さま、取り引きのある出版社さま作家さま、多くの支えてくださっている方たち、皆さまのお陰です。

本当に今さらながらにはなってしまいますが、ありがとうございます(この文章の下書きはすでに春の段階にあったのですが、書けないまま季節は夏になってしまいました)

 

なんとか嘘みたいなお店が生き残ることができました。「10年はお店を続ける」という根拠のない微かな目標をもっていながらの2年という月日は思いのほか、僕にとって長いものでした。「あれ、まだそんなもんだったかしら」といった感じです。それも日々訪れるお客さん達が個性豊かな方が多く、決して一日、一晩、一年という単位では推し量ることのできない、1頁とも呼ぶべき物語的な時間の経過のお陰かもしれません。

 「BAR レモンハート」という古谷三敏の酒場うんちく人情漫画が、実家の父親の棚に並んでいるのですが、それを高校生のときに勝手に拝借、よく読んでいたことを最近ふと思い出しました。

都会の港街の外れのようなエリアの一角にポツンと現れる行灯看板。扉を開けると、静かめのBGMでラジオが流れていたりレコードだったり。カウンターのいつもの席には季節外れのコート。ちびりちびり飲む常連客風の眼鏡の男。もうひとりはスーツ姿。人懐こい髭を生やしたひょうきんな男でウーロンハイなんぞを呑んでいる。そうしてお酒ならなんでもあるといった酒瓶の数と、それを背にして立つ人優しそうなマスター。

毎晩、繰り広げられるマスターと常連客のメガネさん、松っちゃんとのほのぼのとしたやり取りを読みながら「こんな、ちょっと惚けた感じのお店が深夜の街角にあったら面白そうだなぁ」と子供ながらに感じていました。今現在の僕は、お酒を出すようなお店ではないですが、個人的にはそんな雰囲気が好きで、深夜の古本屋として近しいものになれたらそれはそれでよいな、と。この頃は思っています。(もっぱらお店ではお客さんよりも僕のほうがよく呑んでしまっているかもしれません。呆れた店主と言われればそれまで)

 

書きたいことが山ほど溜まってはいるのですが、砂山が高くなればなるほど崩れやすくなるが如く。思いついてはだらだらと思考が崩れていく日々。だから今日はこれまで。

こうしてまた、一から平になってしまった砂(言葉)を固めていく作業を地道に続けていこうと思います。その作業は僕にとって、本を売ることを選んだ身として、そもそも本とは、本屋とはなんなのかを考える時間でもあるのかもしれません。

 

 

 

 

「少女よ
  そのとき
  あなたがささやいたのだ
  失うものを
  私があなたに差し上げると」

黒田三郎「もはやそれ以上」より