忘れもの。

お昼をやけに静かで暗い食堂ですませて、出ようとしたとき、マフラーがないことに気づく。机の下を覗き込んでみても見つからない。おそらく、さっき乗ってきたバスに忘れたらしい。忘れ物の問い合わせの電話をいれて、調べでみますので、夕方頃に再度問い合わせをしてくださいと返事を貰う。

陰気な気持ちで、喫茶店に入って珈琲を啜る。

 

緑のマフラー。緑のチェックのマフラー。

去年の冬に人から頂いたマフラー。

今晩あたりから急激に冷えるらしいから、首元がより寂しい。いや寒しい。

 

思えば、今まで色んなものを忘れて無くしてきた。家の裏山登りに熱中していた中学生時代、父親が持っていたガスバーナーを勝手に持ち出し、ひとり湯を沸かしてインスタントコーヒーを飲んでいた。ませていた、というか我ながら変わった子供だった。何回かそうやって使っていたとき、家に帰るとリュックに入っているはずのガスバーナーがない。リュックをひっくり返しても見つからない。山に落としてきてしまったようだった。父親には小さく怒られた。

 今年の10月頃に福岡に旅行にいった際は、何軒か呑み歩いているうちに、お気に入りのポケットラジオをなくした。案内をしてくれた、古本乙女のカラサキさんには「きっと何かの不幸の身代わりになったんだよ」と励ましの言葉をかけてもらう。なるほどとその時は前向きになったものの、自分の不注意さに暗くなってしまった。

 日々暮らしていても、靴下を片方なくしては家じゅうを探索する羽目になるし、(無くすことを予期してユニクロで靴下を買うときは同じ柄を3つ買うことにしている。片方ずつ靴下をペアにして履けるから。情けない処世術だ)、読みかけた本を、お店に置いたまま忘れてしまっていたり、雨があがればさっきまで持っていた傘を置き忘れて呑気に家に帰り、コンビニにいけば、会計をすませたあとの商品をうけとることを忘れていたりする。

 

思えば、忘れ物ばかりしている。

そうして、忘れたことが徐々に無くしたことに変わっていく。人から受け取った、頂いたものを毎日忘れては無くし、いつのまにか無くしたのこと自体を忘れている。忘れものだらけの日々をボーゼンと繰り返している。

 

反省してないわけじゃない。

気をつけようとはしている。

けれど、忘れものをするときはいつも予期しないタイミングで忘れ、無いことに気づいた時点で振り返る時間を持つことになる。気をつけてはいても、人は忘れていく。大事なものからひとつずつ。そういえば、あのマフラーはどんな顔して僕は受け取っていただろうか?まだ去年のことなのにそれすらも忘れている。

 

 

旅先の京都。今年何回めかの京都。

今晩あたりから急激に冷えこむらしい。

外は雨が降り続いている。

僕は二杯目の珈琲を注文する。

この日のことも僕はたぶん少しずつ忘れていく。時間におかわりがあるなら、僕は何杯おかわりしたらいいんだろう。もしマフラーが見つかったら、それはどこにあるのだろう。

 

外は  雨が降り続いている。