酒も涙も言い訳と。

 

昨晩はお酒を飲みすぎた。

昨晩は、である。

昨晩も、ではなく。

そこは強く主張していたい。

(日付が変わってしまったので正確には一昨日か)

 

書かなくてはいけない、小さな原稿も遅々として進まず、進まなければ酒を飲みたくなる。

「ちょっと学んでくる」とシェアハウスの同居人に話して表に出る。友人が夏にオープンした呑み屋に行くのを僕らは「学んでくる」と言う。店の名前は別にあるのだけれど、店主の名前が「マナブさん」なので「学んでくる」とふざけて言う。呑み屋で学んだことはだいたい一夜漬けで、身につかないと思うけど。

 

気づけば、コップで熱燗ひとつ、レモンハイの三杯ほど飲んでいた。友人が途中からやってきてくれて、色々話しこむ。

「藤井さんが老害化しないように祈っています」という意味合いのこと言われながら、いやおそらく老害というより、そもそも僕自体が害なのではないかと思ったりもする。

二人で大林宣彦監督のドキュメンタリーを眺めた。

 

有り体に、ほろ酔い。いい塩梅。これくらいの心地の時にやめればいいものを、家に帰る友人を眺めつつ、足はひとりもう一軒に向かう。

いつもの焼鳥屋さんで、せめてもう一杯。

一杯だけが、いっぱいに。なんてくだらない洒落を今まで何回自分に言っただろう。

熱燗一本、いいですか?とか言いながら、すでに自分が酔ってしまっていて、果たして一本を美味しく飲めるのかが定かではない。

ちびちび飲んでいたら、試作だから食べてみてと鶏そぼろ丼的なものを頂く。旨い。これで終わりたい。けど、まだ徳利にはお酒が残っている。最後の方は子供がかけっこして、サイダーを飲むように飲んだ。

 

有り体に、飲みすぎ。気持ちが暗くなる。

物事を悪いほう、悪いほうに考えはじめる。

さっきのいい塩梅が頂上だったのだ (えらく低い山だとは思う)今は下り坂。そうなってくると死にたくなる。もういっそ、死んだほうがいいのではと思いはじめる。スマホで「楽な死に方」と検索する。すると、だいたい一番上に「こころの健康」ダイヤル的なものが表示される。いや、ちゃうねん、僕、楽に死にたいねんと下にスクロールしても楽に死ぬ方法についてまとめたものは見つからない。そもそも楽な死に方なんていうものはないのだろうし、ムシのいい話なのだ。

 

夜、誰もいなくなった台所で包丁を眺めてみる。普段みんなが使っているのを思い出しながら、「これ、そういえば切れ味悪かったな」と元に戻す。逆に刃渡りが長いものを見ると、「いや、さすがにこれは無理。わしゃ三島由紀夫じゃないし、ハラキリは無理」と、普通に怖くなる。手頃な紐はなかったかなと思い出そうとしてたら、間違って引き抜いてしまったパーカーの紐しかないことに気づく。そうなってくると、そもそも、ここで死ぬとみんなに迷惑かけちゃうなとか気にしはじめる。海に飛び込むのは今の季節、寒そうだしな。道端で野垂れ死ぬのも、その通りがのちのち心霊スポット的な扱われ方されたら申し訳ないしな、と色々各方面の面倒さを感じて大人しく部屋に戻る。

 

ぼんやり、眠さと酔いの中で、そもそも生きることのほうが周りに迷惑が少なそうだと気づく。最近、常連になった高校生の子にお願いして書いてもらう「看脚下」の張り紙を受け取らなきゃだし、来月後輩が尾道に遊びにくるって言っていたっけ。NHKのディレクターさんもまた取材も兼ねて遊びにきますと言ってくれていたし、そもそも新刊本の支払いが終わっていないのが多数ある。あ、週末に常連さんと店終わりに飲みに行きましょうと約束してた。というより、僕原稿書かないといけんじゃろ。前の本屋トークショーで「10年店を続けるのが目標です」とか偉そうなこと言ってしまったな。何よりお客さんが来れなくなってしまうのは、やはり僕もそれは悲しい。と死ねない理由、というより死ににくい理由(言い訳)の数々を思い出し、もう面倒になって気づいたら寝ていた。

 

ぼんやり、いつも通りにむくんだ顔で昼過ぎに起きて、居間のストーブに温まる。腹が減る。何か食べようと思う。

 

「まだ死ねないな」

「もう少し、死ぬのを延長しておこう」

「いま死んでも、あんまり面白くないしな」

を、毎日繰り返す。

 

 

追記

さっき、深夜に来た初めてのお客さんと少し喋ったとき、「まぁ、お互い死ぬまで頑張っていきましょう」と言われる。

 

死んだあとは、さすがに本は売れんしなぁ、

生きているうちに本を売っておこうと訳の分からないことを考える。