「ラジオは時々、神の声を流す」
時々、宛名も住所も書いていない手紙を貰うことがある。書いてあったとしても返信不要と書いてあったりもする。それを僕は黄色いポストから受け取り、開け、読む。そこに書かれた文字を読みながら、書かれなかった時間について考えたりもする。僕は瞬間的に返事をすることはできない。しばらく経ってふと、あなたに会って声を聞きたくもなる。けれど僕はあなたに会うための住所も名前さえも知らない。
だから、僕にとってこれは、あなたへの返信だ。もちろん、あなたとは今これを読んでいるあなたのことだと思っていい。僕は今日も知らない「あなた」にこれを書く。あなたが僕に手紙を書いたことも、送ったこともないとしても。あなたが僕を憎んでいたしても。嫌っていたしても。あるいは呆れて興味を無くし、顔も見たくないとしても。僕は絶えず、あなたから宛名も住所も書いていない手紙を受け取る。
あなたにひどく悲しいことがあって、しかもそれが波のように満ちひきがあり、絶えずあなたを苦しめているとする。あなたは誰かに救われたいと思う。けれど、あなたが苦しいとき、人はあなたを救うことは究極できない。あなたの苦しみはあなただけのものであるし、そんなときに救われるためには、あなた自身が誰かの言葉を救いだと思うことが必要であったりする。必要なのは言葉じゃなくして、時間かもしれないし空間ということもあるかもしれない。
それは、言葉じゃなくして音楽かもしれない。
それこそ、本ということだって。
あなたが救いだと思えたのたら、なんでも。
ラジオは時々、神の声を流す。
神と言ったって、キリスト教や仏教の番組のことを指すのではない。(いや、もちろんそれがあなたの救いなのなら、それでも良いのだけれど)
神の声を聞く方法。
それは、あなたがひとり深夜になんとなくつけていたラジオから流れてきた音楽、歌手の声を聞いて、「あ、神の声だ」と、ふと思うこと。それだけでいい。そんな浅はかな神でいいのかと、僕が小学生時代に通った学校のシスターは怒るかもしれない。けれど、神は、神という言葉は人が作ったものなのだから、僕たちがラジオから流れた音楽を神の声と思っても悪くない気がする。僕たちは日常的に神の存在を作る。「◯◯、マジで神」って。マジで神。自分の言葉では言い表せない心の震え、感情の揺れ、ざわつき、を使い勝手よく「神」.という言葉にすり替える。
神を作ったのが人間なら、「神は死んだ」といったのも人間。僕たちはいつも都合よく、神を作り神を殺す。
僕は時々、ラジオから神の声を聞く。
君はどこで神の声を聞いている?
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昨日も定休日なのに店を開けていた。
八月の無休営業を終えて、開け癖がついたのか店を開けていないと落ち着かない。定休日の夜に何をしたらよいか分からず、なんとなく開けてしまう。土日も体力が残っていれば深夜、店を開けている。開けていれば、ひとりふたりとお客さんがやってくる。お客さんといっても酔いの帰り道に立ち寄った人や、店を終えてきた知り合いだったり、旅行のついでにふらっときたカップルだったり、まぁ、そのそれぞれ。
有難いことだと思う。素直に。
この小さな町で深夜に開けていて、お客さんが訪れること自体が奇跡的なことかもしれない。
僕はどうして今日も店を開けているんだろう。
誰もいない店内で本棚を眺めながら、ふと。
お金をそれなり稼いで明日も酒を飲みたいから。本を売っている時間が楽しいから。暇になって意味のない考え事をしたくないから。見えない何かに抗っていたいから。本が単純に好きだから。どれも当たっているし、違うような気もする。
店を開けていると、この瞬間のために生きてきたと思える時間がある。このお客さんのために、今日僕は店を開けていたと思えることも。逆に駄目なときはとことん駄目で、そんなときに百円の本に一万円札を出されただけで腹が立つ。店内の写真を撮りまくる女の子に毒のひとつも言いたくなる。酔っ払ってからんでくる知り合いを殺したくなる時も、たまにある。
店の中で呼吸をしているようなものなので、店で起こる出来事のひとつひとつが、そのまま直接僕の肺へと届いてくる。そして、僕は溜息をついて吸ったものを吐き出す。
いい時も悪い時も。
駄目なときは、とことん駄目。そういう日もあるさと開き直るぐらいの図太さは、まぁそれなりに最近は。じゃなきゃ、こんな阿保な古本屋を開け続けていない。
僕にとって、ここが、この時間が救いなのかもしれない。一日、悲しいことがあったとしても深夜いつも通り開けていることで、「弐拾dB」としては生きていくことで、僕は救われてしまう。今日まで、今まで来てくださったお客さんとの時間があったから続けてこれた。この瞬間のために生きていたんだと思う夜があった。一人ずつ一冊ずつ届けてきたから、その人たちの声があったから。嘘くさく聞こえるかもしれない。けれど、僕は救われたいから店を開けている。救われたいから、深夜、誰かを、お客さんを救いたい。自分の手のひらで掬いとれるところまで、救いたい。嘘くさくとも、そう思っている。
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あなたへの返信と言っておきながら、自分の話ばかり書いた。僕は僕のことしか書けない。だから、この返信が深夜の気休め程度に読んでいただけたら充分とさえ思ったりしている。
あなたのことはあなたが書くしかない。
あなたはあなたしか生きることはできない。
否定されたとしても、愚かだとしても。
今日も、あなたは生きてしまった。
眠れない夜があって、ふとラジオつける。
本を開く。音楽が流れる。言葉が流れる。
神の声をあなたはどこで聞いている?
あなたを救うのはあなた。
でも、
時々、
あなたの声は誰かを救うこともある。
少なくとも、
深夜に店を開けている男ひとりは。
また、お手紙お待ちしています。
会うときまで、さようなら。